2012/08/03

夢。


たまには、ふと振り返って・・・。
今からちょうど10年前の2002年8月2日。
夢が現実に変わった僕にとっては特別な日です。

水泳の先生だった父の影響もあり、僕はものごころついた頃には既に水泳の
選手だった。よく遊び、よく泳ぎ、すこし勉強し、よく寝る。
そんな小学生時代からの僕の夢は『行列のできるラーメン屋さん』でした。

そのきっかけは、幼い頃僕は紀の川市で育ち、
和歌山市内に住んでいるおばあちゃんの家に遊びに行く度、
近くにある 『井出商店』さん に中華そばを食べに連れて行ってもらうのが
僕の一番の楽しみでした。

小学4年生の僕は3杯もおかわりするくらい中華そばが好きで、

『セイゴ大きくなったらラーメン屋になれよ~』

親父の冗談の言葉にすごく胸がワクワクしたのを今でも覚えています。

時は経ち高校進学の頃、水泳を頑張ろうと思い和歌山北高校へ進学。
部活は朝練があり起床が早い為、おばあちゃんの家に下宿させてもらう事になった。
家が近くなったこともあり、食べ盛りの僕はおばあちゃんの作る料理より
『井出商店』の中華そばを食べに行く事の方が多くなっていった。

そして、その頃和歌山ラーメンブームの波が訪れた。

もともと忙しそうだったお店がさらに忙しくなり、
ある日僕は求人募集の張り紙を見た時に脳みそがスパークした。

週に数回も通い詰めていた僕は、お店のお姉さん達に可愛がって頂いてたので
思い切って将来の夢を打ち明けた。それが僕の夢実現の始まりでした。

高校を卒業と同時に3年間修行させて頂き、中華そばの歴史そして味創り。
商売の楽しさ、厳しさを教えて頂きながら毎日がむしゃらに汗を流しました。

20歳での独立開業。

家族が一生懸命サポートしてくれて、皆ボロボロになりながらの出店。
たくさんの人に迷惑をかけながらがむしゃらに頑張り続けました。

店の座敷で眠り、朝から仕込、営業、終わってスーパー銭湯でシャワーを浴び
吉野家で牛丼をたべてまた店の座敷で眠る。
こんな日々がいつまでも続くと覚悟していましたが、
本当に今思えば辛かったです。
少しづつお客さんも増え、たくさんの最高のSTAFFとも出会い、
協力し助けてもらって強いチームが出来ていきました。

僕も若かったのでSTAFFはほとんど10代の学生さんばかり。
そのまま今でも社員さんで頑張ってくれているSTAFFも数人います。
当時の夢を立派に叶え頑張っているSTAFFもたくさんいます。
分かり合えずに辞めていったSTAFFももちろんいますが、
今思えば、このすべての出会いからたくさんの学びがあって
本当に大切な事をたくさん教えてもらいました。

がむしゃらに走ってきた10年を土台に、
これからも挑戦を続けて行こうと思います。

師匠、恩師、家族、仲間、友達、業者さん、お客さん、STAFFの皆
たくさんのサポート本当にありがとうございました。
そして、これからも宜しくお願いしときます。





中華そば 丸田屋 丸田 征吾